マダム・バタフライインターナショナル

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    事業内容

    財団への応援メッセージ

    各界の著名人の皆様よりいただきましたメッセージをご紹介させていただきます。 (五十音順)

    池坊 保子 様(衆議院議員)

    マダム・バタフライインターナショナル財団が長年にわたって、「日本の心」「日本の文化」を世界に発信し続けてきたことに、私は心から拍手を送る一人であり、改めて敬意を表したいと思います。
    「第1回マダムバタフライ世界コンクール」が行われたのは1967年。その後も回を重ね、才能あふれる若き芸術家たちの発掘・育成に大きく貢献してこられたことを高く評価しております。
    文化・芸術において最も大切なことは、自らの才能を表現し、多くの人々の心に感動を与えると共に、次の世代の優れた後継者を育てることだと信じております。
    貴財団の前身である三浦環顕彰会が長崎・グラバー園に贈られた「お蝶夫人像」のレプリカを、世界のオペラ劇場に寄贈するという活動は、文化・芸術が世界を結ぶ架け橋となる象徴だと思います。
    これからもますますご活躍下さることを、心よりお祈りいたしております。

    斉藤 鉄夫 様(衆議院議員)

    21世紀の三浦環よ、続け!
    20世紀初め、オペラ歌手・三浦環の登場とはどのようだったろう。国際社会では無名の日本女性が、留学先ロンドン市の最大ホールで堂々たるアリアの絶唱。アンコールでは「サクラサクラ」「ほたる」の透き通る歌声にも大喝采。翌年には、イギリス国王臨席のもと、イタリアオペラの代表作「マダム・バタフライ」のプリマドンナを見事演じきり鮮烈の世界デビュー。言わば大正の「なでしこ・ジャパン」ではなかったか。
    その後世界各地での生涯2000回もの公演は、愛に生きる女性像に深く迫る感性と才能のきらめき、日本人の繊細で豊かな芸術性をいかんなく開花させた舞台だったに違いない。
    三浦女史、その愛弟子たる小林伸江氏の功績を現代に引き継ぐマダム・バタフライインターナショナル財団の、「21世紀の三浦環、出よ」との呼びかけに強く賛同したい。

    佐久間 良子 様(女優)

    裕子さんと共に若い時代東映映画で御一緒した仕事を懐かしく思い出します。
    その頃から裕子さんの太陽の様な明るさ、バイタリティーあふれる行動力が今のマダム・バタフライインターナショナル財団を築かれた源にあると思います。私の大好きなオペラ“蝶々夫人”は叔母様の小林伸江様の白眉と云われた芸術と伺って居ります。
    偉大な叔母様の遺志を受け継がれて行く道のりは大変な御努力と、又、苦悩もおありだった事でしょう。音楽を通して世界の人々と交流し手を繋いで行く事は素晴らしいですね。今、被災による日本の暗い世の中を貴女の情熱と愛と優しさで日本の文化、芸術の発展の為、第10回世界大会開催が成功される事を心からお祈り致します。

    山東 昭子 様(参議院議員)

    想像を絶する東日本の大震災の爪痕は心の傷と共に消えることは何時迄もないと思う。政治の場でも、与野党が結束して様々な問題に法律を作っているが遅々として進まず、頭の痛い毎日である。何時も感じている事だが、政治は人々に感動を与えることはなかなか出来ないが、音楽は老若男女、誰にでも愛されるものである。
    そうした中でマダムバタフライインターナショナル財団は、日本人の音楽に対する情熱をかき立たせるのに無くてはならない存在なのだ。かじ取りをしているのは私の東映時代の女優仲間である小林裕子理事長。昔、三浦環の弟子で「籠の鳥」という唄が大ヒットした歌手の小林千代子さんがおば様なので、彼女は一生懸命やっていて、お金も人脈も少ないにも関わらず、モルドヴァ共和国でイベントを行ったり、オペラ歌手の育成、外国人を含めてのコンクール開催等々、いくつになってもベビーフェイスで「コツコツやっていれば何とかなるわ」と苦しい中でも明るく活動しているのには脱帽だ。 今迄の日本の社会はタテ社会で動いてきたが、これからはヨコ社会の時代である。震災の折の家族の絆は勿論だけど、コミュニティでのふれあいも確立された。昔から外国では近所の人とのホームパーティーが毎週行われ、政治と宗教の話はタブーだが、毎回、花・音楽・絵画・スポーツについて等、テーマがあって子供も大人もフリーディスカッションしている。会食の場でも先日見たオペラや音楽会の感想が日常茶飯事語られているのに比べ、日本はゆとりのなさをつくづく感じている。特に私は世の男性に物申したい!「仕事が趣味だと豪語せずに、時間を上手に使って奥さんや家族と音楽を聞いて美味しい料理を食してくださいな!」 毎日の仕事のモヤモヤをリフレッシュする為にも、是非オペラやコンサートに足を運んでもらいたい。その時の服装はストライプの背広はマナー違反。会社のロッカーでチョッキと蝶タイで早変わりして欲しい。男性がドレスアップしないと女性のお洒落が浮いてしまうのだ。
    私は子供の頃から、声楽、ピアノ、日舞、バレエ、歌謡曲など色々学び、レコードやTVドラマのテーマソングなど歌ってきたので、音楽は全方位なのだ。クラシックは敷居が高くてとおっしゃる方も多いが、最近のアーティストも幅広く演歌をアレンジしたり、トークも上手になって、苦手な人にグーンと近づいて来ている。優秀な頭脳と科学技術、そして何よりもたくましい精神力を持っている日本人が、もう一度世界に誇れる国になる為には、一寸足りないのが文化水準ではないだろうか。
    多くの皆様のバックアップを受けながら、私たちはこの財団の活動によって癒しの心をいつまでも大切にしたい。

    鈴木 寛 様(衆議院議員)

    小林伸江さんを中心とした有志の皆様の提唱によって、三浦環さんにちなみ、「マダム・バタフライ世界コンクール」が1967年よりスタートしました。三浦環さんは皆様ご承知の通り、国際的なスターでした。30歳でオペラハウスにおいて日本人初のプリマドンナとして、「マダム・バタフライ」の出演を果たし、プッチーニに「世界でただ一人の理想的な蝶々」と言わしめるなど、その功績は枚挙にいとまがありません。
    世界で活躍し、多くの功績を残された三浦環さんにちなんでこのたび設立されたマダム・バタフライインターナショナル財団の取り組みを通じて、より多くの日本人の皆様が日本の明るい未来に対してより意識的になられることを祈念しております。

    鈴木 隆道 様(東京都議会議員)

    2010年に一般財として認定された「マダム・バタフライ インターナショナル財団」は、日本のオペラ界の先駆者である三浦環女史の偉業を後生に伝えると共に、若きオペラ歌手の発掘・育成及びオペラ文化の普及を通して、国際親善に寄与することを目的としており、その活動は大変意義あるものと存じます。
    これは、三浦環女史の愛弟子でありその精神を継がれた、オペラ歌手の小林伸江氏(故人)及びその姪の小林裕子氏(現・財団理事長)の長年の活動によるものと思います。
    言うまでも無く、オペラはクラシック音楽と演劇が融合した、素晴らしい世界に共通する芸術・文化でありますが、財団のこれまでの様々な活動に拘わらず、日本においてはその普及はまだまだの感があるのではないでしょうか?
    こうした中、このたび財団のホームページを立ち上げることは、大変時宜のかなったものであると存じます。
    インターネットをとおして、特定の人だけでは無く、様々なジャンルの人や日本国内はもとより、全世界にその活動が普及しオペラをとおして、国際親善・国際交流が促進しますことを期待しています。

    高木 美智代 様(衆議院議員)

    観るたびに切なく、強い美しい信念に生きた一人の女性に「日本人の血」を感じるのは、私だけではないことでしょう。
    プッチーニの名作が、世界的なオペラ歌手三浦環女史によって輝き、日本人のもつ高い精神性が、世界の人々の心にダイレクトに伝えられていく--。
    その素晴らしい取り組みを進めるマダムバタフライ・インタナショナルが、今日の財団として大発展されましたことに、心から拍手を送っております。
    偏に、小林理事長をはじめ、関係者の皆さまの並々ならぬ熱意とご尽力の賜物と深く敬意を表します。
    特に、小林理事長のどんな壁も乗り越えて進む強い信念とエネルギーに、常に触発されております。
    私は、今、東日本大震災の復興にあたり、「震災の復興は心の復興から」と掲げ、全力をあげております。
    文化芸術のもつ励ましの力、勇気と希望を育てる力が、今こそ不可欠です。
    2014年日本大会の開催をはじめ、その後の各国での開催という大きな希望が、日本の復興のための大きな力になることを確信しております。 ますますのご発展を期して、私も応援させて頂きます。

    中江 利忠 様(元朝日新聞社社長)

    第10回マダムバタフライコンクールの実現へ
    1915年(大正4年)5月31日〜1946年(昭和21年)4月13日。日本初の国際的プリマドンナ、三浦環が「マダム・バタフライ」を歌った2000回の足跡であります。
    最初が第一次世界大戦のさ中、ロンドンのオペラハウスでドイツのツェッペリン飛行船による初空襲を受けながらの舞台、最後が43日後の病没を前にしたNHKの放送でした。
    「あなたは世界にたった一人しかいない、最も理想的な蝶々さんです」と、このオペラを作曲したプッチーニから言われた環は、オペラをはじめとするクラシック音楽の芽生えと発展を担う、スターターとなったわけです。
    そして第二、第三の三浦環が輩出することを願って「マダム・バタフライ世界コンクール」を開催しているマダム・バタフライインターナショナル財団が、今回のホームページの拡充をきっかけに一層の発展を期するものであります。
    特に第10回世界コンクールの開催が最大の課題で、2018年の実現に向けて各界の全面的なご支援とご協力をお願いするものであります。

    西阪 昇 様(京都大学理事・副学長)

    小林裕子理事長が、長年にわたり、常に高い志と情熱を持って、国家的な事業に取り組まれている姿に接するたびに、こちらがいつも元気をいただいています。また、夢と希望を持つ大切さと強さを教わりました。
    関係者の皆様のご尽力により、大変困難な道のりですが、大きな目標に向かい、一歩一歩進まれていることに敬意を表しますとともに、大願成就、その熱い思いが近いうち大きく花開くことを心から願っております。

    板東 眞理子 様(昭和女子大学学長)

    2011年5月のコンサートの成功おめでとうございます。
    これも小林裕子理事長の熱意と行動力、そして三浦環、おばさまの小林伸江から受け継がれてきた名作「蝶々夫人」への深い愛情があってのことと思います。
    ぜひマダム・バタフライ世界コンクールの開催と成功に向けてさらに実績を重ね、日本からの文化を発信してくださるよう期待しています。それによって大震災で失われた多くの命の鎮魂と再生への新しい第一歩が始まると信じています。

    東 力(株式会社IMC代表取締役社長・元衆議院議員)

    小林裕子さんとは、今から6,7年前 ある倫理法人会で講演している時に出会いました。
    暫く時が流れましたが、この度コンサ-トのご案内を頂き元気に活躍しているのだと嬉しく思いました。
    最近、私が経営している赤坂のレストランの交流会に顔を出してくれました。
    それで分かったのですが、2007年には「第九回マダム・バタフライ世界大会」をモルドヴァ共和国大統領が国の行事として開催し下さったそうです。
    さらに「一般財団法人マダム・バタフライインタ-ナショナル財団」の認可も受け,2014年には日本で「第十回マダム・バタフライ世界コンク-ル」を開催すると意気込んでいます。
    一般的にグル-ミイな情勢の中での協賛金集めはご苦労の多い事だと思いますが、小林さんは鉄の心で成し遂げていくだろうと期待しています。
    国際的にも意義深い文化的・芸術的企画を小林さん独りにさせては,日本人の恥です。
    私も、心からエールを送り応援していきたいと強く思っています。皆様のご賛同を心からお願いします。

    平沼 赳夫 様(自由民主党・衆議院議員)

    マダム・バタフライインターナショナル財団の発展をお祈りする。
    マダム・バタフライインターナショナル財団が現在の大変な時代に一生懸命に努力されている。このことは大いに評価しなければならない。マダム・バタフライといえば三浦 環さんのことを思い出すべきである。彼女は世界のプリマドンナで、オペラ歌手として作曲家のプッチーニが絶賛した偉大な人で日本の宝ともいえる人である。三浦 環さんの愛弟子の小林伸江さんのことも忘れるわけにはいかない。マダム・バタフライインターナショナル財団は、こういった人々の精神の上に立って活動の輪を広げている。私も微力であるが応援したいと思っている。

    古川 貞二郎 様(元内閣官房副長官)

    ある日、小林さんが突然、僕の事務所を訪れた。
    以前、講演会で名刺交換をしたとか…!
    彼女の行動力はたいしたものだと感心した。
    そして声楽家であった叔母様から引き継いだ音楽事業のことを、目をきらきらさせながら語っていた。何としても「マダム・バタフライ世界コンクール」を開催したい、そしてそれを継続していきたいのだと。
    彼女の夢は4年前にモルドヴァ共和国で第9回世界大会を開催したことで、着実に前に進んでいる。
    昨年財団の認可も受けた。
    いよいよ2014年に目標を定め、日本大会の開催だとか。
    小林さんだったらやり切ることだろう。
    どんな苦難でも笑顔で“不可能はないと思っています”とのたぎるような情熱。本当に素晴らしい。
    頭の下がる思いだ。
    このような社会情勢の中にあって、心の折れない一本の道を歩く小林さんに心からのエールを送りたい。
    必ずや奇跡という贈り物が与えられることを願って。

    三田 佳子 様(女優)

    東映で、同じ時代の空気を呼吸しながら育まれた私と裕子さん。
    あの頃から半世紀が経ちましたね。
    裕子さんは、その後、叔母・小林伸江様の遺志を継ぎ、「マダムバタフライ・インターナショナル」の活動に全てを捧げて来られた。
    ひとすじに信念を貫き続ける裕子さんに、歩んできた道は違っても、私の心も強く共鳴します。
    今、震災を経た厳しい世情にあって、裕子さんのご苦労も多いと思います。しかしそんな時代だからこそ、若い才能へ愛をそそぎ、そして世界に向けて「マダムバタフライ」を発信し続ける財団の活動は、日本にとって、より意義の深いものになったのではないでしょうか。2014年に定めたあなたの思いの実現と成功を、心から応援しています。

    森 英恵 様(デザイナー)

    世界で愛されてきた「マダム・バタフライ」。私が初めてこのオペラを観たのは、1961年のニューヨークでした。そこに描かれていたのは哀れな蝶々さん、日本の女はこんなじゃない!それが私の挑戦のエネルギーになりました。美しい日本の女を発信したいと思ったのです。
    1985年には、ミラノ・スカラ座の「マダム・バタフライ」の衣装を担当しました。浅利慶太さん演出で“東と西の文化の違い”をテーマに日本人スタッフで制作された心に残る作品でした。
    “強くて、純粋な日本の女”の存在感。私もこのオペラが大好きです。当財団の活動に期待しています。
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